越境する「日本型教育」の歴史的・多角的理解に向けて

趣旨

 戦後の経済成長がピークを迎えた70年代以降、国際的注目を集めてきた日本の教育。「驚異的」経済発展を支えたとされる日本の教育は、競争力に陰りが見え始めたアメリカを中心とする西洋諸国において、「改革のモデル」としてもてはやされた。その後の「失われた10年」を経て、西洋諸国における「日本教育ブーム」が下火となった今、今度は東南アジアやアフリカの途上国から熱心な関心が寄せられている。近代化や経済競争力といった従来のマクロな視点を超えて、成熟した市民性を育む「特別活動」や、協働的な教員文化を育む「レッスンスタディ」など、具体的な「日本型」教育実践にまなざしが向けられている。こうした途上国からの関心にこたえる形で、日本政府、教育関係者、さらには民間企業が、「日本型教育」の海外発信・展開を積極的に行っている。この最も顕著な例が、文部科学省を中心として2016年に始動した「EDU-Portジャパン」である。

 しかしながら、「日本型教育」の国境を超えた動きは昨今に始まったことではない。歴史を振り返れば、20世紀初頭、北米西海岸やハワイ、そして中南米に渡った日系移民の多くは、移住地に「日本型」教育を持ち込んでいだ。例えば、北米西海岸においては、日系人としての揺らぐアイデンティティの形成を支える社会空間として、コミュニティーの日本語学校が機能していたという。一方、同じ頃太平洋の対岸では、帝国日本が植民地教育を台湾、韓国、東南アジア諸国において実施していた。ここでは対照的に、「日本型教育」は植民地暴力の一装置として機能していた。戦後の復興を経た60年代後半になると、日本の教育を含む社会・経済制度は、「J-モデル」としてアジア諸国の開発の「手本」として取り入れられた。また草の根レベルにおいても、公文式学習、スズキメソッド、学びの共同体、レッスンスタディ等の多くの民間教育実践が海を渡っていった。 レクチャーシリーズ『越境する「日本型教育」の歴史的・多角的理解に向けて』では、過去百年の日本の教育の海外展開の多様な事例を越境という視点で繋ぐ。越境というフィルターをかける意義は、「日本型教育」が文化的かつ歴史的に異なる状況に転移される過程において、暗黙裡に受容される日本的教育実践の前提がより凝縮された形で立ち現れるところにある。自発的であれ強制的であれ、日本の教育が異空間に位置付けられることで、その特徴的な部分がより顕在化した形で表出する。様々な歴史状況下において越境の経験を経た「日本型教育」の実態を、その恩恵や暴力を受けた人々の経験から検証し直すことで、「日本型」とされる教育の内実と、その歴史的継続性と変遷に接近することができるのではないだろうか。今日政府レベルで推進されている「日本型教育」の海外展開事業をより大きな歴史的潮流に位置付けることで、政策議論を深める契機としたい。